九州のヘソで醸される
地域の味
通潤酒造
逃げ延びる地
通潤酒造との出会いは有機栽培米で醸されたお酒「平家伝説」でした。行き方を調べるとバスで「通潤橋行き」に乗ることがわかりました。通潤橋とは国の重要文化財に指定された石造アーチ水道橋で江戸時代につくられた橋です。写真を見るとローマの水道橋をイメージさせる形です。なるほどこれがシンボルなので「通潤」酒造なのだなと納得したのですが、そうすると次に「平家伝説」とは何だろうという疑問が沸いてきました。実際にバスで向かってみると、どんどん山道を奥地へ進んでいきます。なるほど「平家の落ち武者」が開いた集落だったのです。しかも明治初期の西南戦争の際には西郷隆盛がこの地へ逃げ込み、酒蔵で今後について軍議をしたとか。とても歴史ロマンあふれる地域でした。そんな地域にも昔は複数の酒蔵があったそうですが、現在残っているのは通潤酒造のみ。現在は、地域の農家の方が育てた酒米を、地元の蔵人が醸し、パッケージなどのデザインも地元に戻ってきたデザイナーが行っています。九州の真ん中である阿蘇の南の地「山都(やまと)町」で、まさに ”地域の酒蔵” として頑張っています。
棚田の風景
通潤橋を含む通潤用水は農林水産省の疏水百選に選定され、橋と周辺地域一帯の棚田景観は国の重要文化的景観として選定されています。バスで蔵へ向かう途中も平らな土地があればとにかく水田を作ったのではないかと思えるくらい、狭いところも水田になっており、綺麗な棚田になっています。棚田は山の多い日本ならではの景観として、是非残してほしいのですが、現実としては農業機械が狭くて使えなかったり、収穫量が伸びなかったりで維持が難しいとも聞きます。そうした中、手作業が増える「有機栽培」と「棚田」は相性が良かったのかもしれません。店長がお伺いした時は12月で刈り取り後の景色でしたので、次は水をはっている緑の状態か、稲刈り直前の黄金色の状態の棚田を見に行きたいと考えています。
通潤酒造も山都町も阿蘇の麓ということで、やはり熊本地震の影響は大きいものでした。以前お伺いした時には地震から1年8ヶ月経っていましたが、蔵の作業場は修復中だったり、修復の順番待ちの場所もありました。山の中の地域という事もあり、修復の人員・資材ともに足りないことが多いそうです。それでも震災(2016年4月)のすぐ後の田植え時期に農家の方から「酒造れるかー」「造れるなら田植えするぞー」と言っていただけたのだとか。農家の方の家の修復もままならない状態であったにも関わらず、田植えをしてくれて、その年も何とか酒造りが出来たのはとても嬉しい事だったと蔵の方が話してくれました。蔵自体も直しながら、その時点で出来る方法を考えて酒造りを行っており、地域と一緒に少しずつでも回復していく感じが伝わってきました。そこでまずは「出来たお酒を呑む」ことから応援を始めたいと考えました。
写真は修復中の蔵の建物です(2017年12月中旬)。ブルーシートで覆われている蔵は九州で現存する一番古い蔵とのこと。通潤橋も復旧工事の最中です。
祭り
地域を歩くといろんなところに、不思議な大きなモノがあります。最初に見つけたのは蟷螂(かまきり)。つぎにキングコング、通潤橋の麓にもダンスを踊る2体が。これは「大造り物」と言われる山都町の八朔祭に使われるものでした。これはすべて木の枝や皮、実などを材料につくられていることが特徴で、高さは3~4mあるものもあります(目測です)。八朔祭りは江戸中期から始まったもので、町の伝統行事です。大造り物は毎年の祭りで新しいものが造られるとのことなので、毎年多くの見物客が訪れる目玉になっています。下の写真でもほんの一部をご紹介しますが、実物を見ると迫力があり、かつ細かいところも凄くて一見の価値ありです!
通潤酒造の定番酒
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酒蔵概要
名称:通潤酒造株式会社
創業:江戸 明和7年(1770年)
住所:熊本県上益城郡山都町浜町54
webサイト:https://tuzyun.com/