「今日は50%精米の299kgやから(袋は)30個です。」
「掛(かけ)やから◯%を3個と△%を7個と☐%を10個と◇%を10個で。」
「わかりました。」
社長(蔵元)兼杜氏の田中さんとこんな会話をしてから米を量り始めます。洗米用の米袋は基本的に一袋に10kgを量ります。299kgの時は最後の一袋だけ9kgに。この大量の米を洗い水を吸わせる、その吸水率を一定量ごとに1%刻みで変えて、吸水率の違う米の層を甑(こしき)に作るのです。これは米を蒸す時に均等に蒸されるための工夫。この吸水率はコンピュータに指定すればできるわけではなく、洗米と浸漬、つまり米が水に触れ始めてから水を切り始めるまでの時間を調節して実現します。また同じ吸水率にするときの時間はいつも同じではありません。酒米の品種や精米歩合によって違うのはもちろん、米を洗う水の温度や浸けておく「半切り」という名のタライに張った水の温度、蔵の室温などによって変わります。なので「今日」米を水に浸けておく時間を何分何秒にするかを決めるのは「難題」なのです。
私と兵庫県明石市にある酒蔵・太陽酒造との再会は、昨年の夏。私は昨年の4月に東京から13年ぶりに兵庫へ戻ってきて、東京へ行く前に呑んでいた日本酒を調べていた時にふと太陽酒造の「赤石」を思い出し、蔵のホームページを見てみました。そこに毎週金曜日に蔵で有料試飲会をやっていることが書いてあったので、早速その週の金曜日に蔵へ行き、15年ぶりにこの蔵の酒を呑んだのでした(この時の内容はsalefan.netにコラムとして書いています。読んでみてもらえると嬉しいです。「通称千円居酒屋、実は有料試飲会」)。そのお酒は、なかなか他にはないパンチの効いた酒で、すぐに虜になってしまいました。その後も蔵へ呑みに行き、買って帰っては呑みました。そうした中で、蔵の後継者がいないこと、パートさんを含め最低限の人数で蔵をまわしていることなどの話は伺い、そんな日々が4カ月ほど続いたとき、蔵のホームページで「アルバイト・蔵人 募集」があったのです。もちろん私は酒造りの経験などない。年も47歳で体力に自信があるわけでもない。それでも何か手伝えるならと思い、応募しました。そして、私は酒米を洗うことになったわけです。
指導してくれる社長は69歳。基本的には社長と女将さんとパートの女性と私の4人。加えてアルバイトの3人ほどが作業に応じて手伝ってくれます。パートの女性は主に瓶詰めとラベル貼り担当。精米された酒米が蔵に届いた後の洗米、浸漬、蒸米といった作業は社長と私の二人で、醸造の工程は社長がひとりで行っていました。醸造量は最盛期の10分の1以下に減ったとは言うものの、手作業も多く大変な肉体労働です。社長も「この人数で造るのは初めてやな」と言っていました。人数が少なかったこともあり、ある程度作業を覚えてからは洗米と浸漬、甑の準備と片付け、麹室や醸造タンクへ蒸米を運ぶ作業は私が主担当となりました。麹室での床もみと切り返しも手伝わせてもらえました。岡酒商店の仕事もあったので泊まり込みはしませんでしたが、それでも休みは大体10日に1日、正月返上で3カ月間通い、日中に社長がされた作業は横からたくさん見せてもらいました。
注)日本酒造りの工程についてはこちら 東京都酒造組合ホームページ 「日本酒ができるまで」
私自身、酒造りの工程は昔から勉強していましたし、唎酒師を取得するときに体系的にも勉強しましたが、実際にやってみると新たに見えることがとてもたくさんあります。分からないことは社長に聞くと本当に何でも答えてくれます。杜氏として酒を造り続けてきた人は自分の蔵の酒造りについては全てを知っています。もちろん、蔵によって造り方は違う事も多く、地域によっても杜氏の流派によっても細かい違いは非常に多い。そういう意味では目の前の社長は酒造りの全てを知っているわけではありません。しかし魅力的な酒を造っている蔵では、自分の蔵の事について、長年考え抜いて作業しているため、理論的にも経験的にも話が深いのです。会話をすればするほど凄さがわかります。
私が担当した作業では、米を洗った後に水を張った半切りに浸けた米袋をそこから引き上げる時間を決めるために最初の1袋は試し量りをします。もちろん、その一袋を無駄にしていいわけではありません。そのため試し量りの時間を決めるために、同じ酒米・同じ精米歩合の過去の洗米情報から、似た水温や気温の情報を探して参考にするのですが、まったく同じ情報があるわけはなく、結果、手書きの過去情報を睨みながらうんうんと唸ることになります。唸って考えたからといって必ず上手くいく訳ではないのは当然のこと。大きく予想が外れ、予定していた吸水率よりもかなり多く吸い過ぎたり、逆に吸わなかったりすることもありました。結果を私が社長に報告し、社長がその後の工程で色々な手段で調整をすることで酒が醸されていく。もちろん失敗しないのが一番良いのですが、私の失敗を調整していける工程があるということは、それだけ多くの工程の結果がうまくかみ合わないと良い酒にはならないということが良く分かりました。
秒単位で時間を調整しながらたくさんのお米を洗う作業は正直なところ気持ちも体も疲れます。しかし、釜に甑を配置して水切りした米を甑にはるとき、何とも言えない良い香りがします。蒸された米よりもこの生米の時の香りが私は好きです。香りと言えばもうひとつ、麹を乾かす時の栗の様な香りもとても良い香りです。
2本のタンクを並行して進めていたため、日によって留麹(三段仕込みの三段目の留の時の麹)と酛掛(酒母を仕込む時の掛米)と添掛(三段仕込の一段目の添の時の掛米)を洗うのが重なる日がありました。この時が一番大変。目標の吸水率はそれぞれ違いますし、酒米の種類や精米歩合が違う場合もあります。間違えない様に、それぞれに合わせた時間で進めるのはとても精神的に大変です。そして洗ったという事は翌朝にはこの3種類を蒸すことになります。甑に布を挟みながら、3つの層を作って蒸します。基本的には米の量が少ない方が上に来るようにするため、一番上が麹用の米です。最初にそこだけ社長が掘って、女将さんと私が米を冷まして、私が二階の麹室へ運びます。この冷ます温度も毎回社長から指示が出ます。麹用の米を運び終えたら、先に製麹作業です。社長が種麹を蒔いて、私も一緒に床もみをします。麹室は室温が30度以上あるので、私は汗だくです。それが終わったら一階へ降りて、今度は次の酒母用の米を冷まして酒母タンクへ投入し、その後、添用の米を冷まして醸造タンクへ投入します。それぞれのお米の量は仲掛(三段仕込みの二段目の掛米)や留掛と比べるととても少ないのですが、種類が多いといろんなことをするので大変なのです。
注)三段仕込みの説明についてはこちら 灘酒研究会 「三段仕込・仕込」
私はサラリーマンを辞めて酒屋になるときに「いつかは酒造りにも関わりたい」とぼんやりと思っていました。ただ普通は職人の世界で、修行期間も必要だし、造りの期間に他の仕事が何もできないということは現実的ではないこともあり、難しいと思っていました。しかし偶然が重なって、私でも色々とお手伝いできることが信じられないですが現実にあった。本当に世の中にはどんなご縁があるか分かりませんね。
太陽酒造は全量木槽で搾ります。そして全量、無濾過生原酒なので、加水や濾過、火入れなどの作業はありません。搾った翌日には瓶詰が始まります。最初の酒を社長と女将さんに続いて唎き猪口でいただいた時はこっそり感動していました。自分が少しでも関われたことが正直信じられない味わいでした。自信をもっておすすめできます。ぜひ呑んでみてください。
私が米を洗った太陽酒造の純米吟醸酒「たれくち」と「おり酒」、そして「神稲(くましね)」の平成30年度醸造酒を岡酒商店でも販売します! 醸造量が少ないため、少量の販売となりますことご了承ください。
日本酒の消費量が年々減少する中、廃業する酒蔵が後を絶たちません。全国には後継者がいない酒蔵がたくさんあると聞きます。その中には信念をもって魅力的な酒を醸している蔵もあるでしょう。しかしそれを継ぐ人は多くはいません。その一方、30代で酒蔵を継ぐ人もいます。その方達は新しい取り組みをされることも多いため、記事などに取り上げられ、目立ちます。しかし、その様な蔵は、ほんの一握りです。また、酒蔵の経営者である“蔵元”と造りの責任者である“杜氏”を兼ねる人も増えていて、蔵人の社員化もすすんでいます。このことから季節労働としての杜氏集団は減少しています。社会環境を考えるとそれは仕方がないことでしょう。しかし、杜氏から蔵元杜氏への経験と技術の継承は十分に行われているのだろうかと心配になってしまいます。数百年の歴史を持つ日本酒だからこそ、その過去には多くの人が考え抜いた結果があります。時代の嗜好に合わせた新しい取り組みをする際にも、その歴史は大きな力となるのではないかと思います。
<終わり>